第六の絶滅

Die Wahrheit ist irgendwo da draußen.

NOIR -ノワール- 『イントッカービレ』とワイダ『世代』

※2015/03/25 Twitter川崎逸朗さんに情報を頂いたので追記。

 

 先日、『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』のアンジェイ・ワイダ初期三部作を観た。この三本はいわゆる“ポーランド派”映画の代表作で、反ナチ運動、ワルシャワ蜂起、反ソビエト運動など、体制への反抗を描いた作品。ポーランド派はイタリアのネオレアリズモの影響を受けていたということで、確かにこの三本には『自転車泥棒』に通じるものが感じられた。

 『世代』はワイダの監督デビュー作。ナチス・ドイツ占領下のポーランドで反ナチ運動に身を投じる若者たちにフォーカスし、ファシズムに抑圧され、労働者には共産主義が台頭したこの時代のポーランドを取り巻いていた雰囲気が映し出されている。

 で、監督:真下耕一、原作・構成・脚本:月村了衛の2001年放送のTVシリーズ『NOIR -ノワール-』に『世代』からの引用があったことに気付いたので、それを絡めてその回の演出について書く。

 

 

NOIR -ノワール- #8~9 「イントッカービレ」

 この前後編エピソードは初めてミレイユの過去の一端が明らかになり、彼女が恐怖という感情を表す前半の山場と言える回。“侵すべからざる者=イントッカービレ” “世界で最も凶暴な姫君”などの異名で畏れられるシシリアマフィアの後継者で、ミレイユが幼い頃に出会い強い恐怖を抱いた相手、シルヴァーナ・グレオーネとの対決が描かれる。

 

#8 「イントッカービレ acte I」~正対しない霧香とミレイユ

 「ソルダとグレオーネ・ファミリーの契約書」を報酬とする依頼から、シシリア移民のマフィア《コーザ・ノストラ》の幹部を暗殺した二人。

 

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 これで依頼は果したと思った矢先、ミレイユのもとに「イントッカービレが呼び寄せられた」という情報が届く。動揺するミレイユ。何かあったのかと問う霧香に、しかしミレイユは「なんでもない」と答える。イントッカービレはコルシカマフィアの幹部の娘だったミレイユが幼少の頃に一度だけ会った相手で、その時に強い恐怖を与えられた相手でもあったが、ミレイユは自分の心に深く関わることについて霧香に明かそうとしない。

 

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  それを示すように、この2回では霧香とミレイユが正対するカットがほとんど存在せず、大体はどちらかがどちらかに背を向けたり、身体を反らしたりしている。

 

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 妙に上機嫌な様子で霧香の散髪をするミレイユ。

 

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 当然霧香はこれを不審がる。服装にも無頓着(フランス国旗に「France Paris」などと書かれたダサいTシャツを着ているくらいだ)な霧香が自分からミレイユに「髪を切って」と頼む筈もないし、そうでなくとも「相手の髪を切る」というのは多くの場合特別に親しい関係を示すものだから、この時点でミレイユが霧香の髪を切るのはどうにも不自然だ。おそらく「あんた少し髪伸びてきたんじゃない? 私が切ってあげるわ」などと言って半ば強引に散髪をしたのだろうと推測できる。

 

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 急に散髪も止めるミレイユを探るような霧香の眼の動き。これ以降もミレイユと霧香の絶妙な距離感が、この霧香の目線でもって描写される。

 

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 散髪はミレイユが霧香に話しかけるきっかけを作るためのものだった。イントッカービレとの因縁について独白し始めるミレイユ。霧香に話しているようでいて、そうではない。ミレイユと霧香は向き合ってはいない。

 

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 ミレイユの唐突な自分語りに「何を言っているんだ」とでも言いたげに、切りかけの髪を気にする霧香がかわいらしい。この2回は特にシリーズ中でも特に霧香がかわいく描かれていると思う。

 

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 背中合わせでベッドに横になる二人。

 

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 落ち着きないミレイユを気にする霧香の目線。

 

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 「依頼人が殺された」と告げるミレイユ。やはり顔は背けている。

 

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 「これが『NOIR -ノワール-』だ!」って感じのカット。

 目的の契約書はイントッカービレの手に渡った。イントッカービレはファミリーに手を出した《ノワール》を誇りに賭けても処刑するだろう。霧香は「どうするの?」と訊くまでもないことを言うが、ミレイユは「あの人には勝てない、あの人には……」とうずくまり震えている。やはり二人は背中合わせのままだ。

 

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 霧香の目線。勿論《ノワール》の目的が“過去への巡礼”である以上、ようやく見つけた手がかりをここで逃すわけにはいかないのだから、彼女たちに撤退という選択肢はない。

 

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 二人は誘いに乗り、ミレイユはイントッカービレと対峙するが、恐怖から彼女を殺し損ねてしまう。霧香は右腕に傷を負った。

 

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 「やり損なった、いえ、やれなかったのよ私は」

 

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 霧香はあくまで事務的に「顔は見られたの?」と仕事上重要なことを訊く。ここでもやはり二人が向き合うことはなく(運転中だから当たり前だが)、霧香はミレイユにどう接すればいいのかを測りかねて顔を背ける。

 

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 霧香が負った右腕の傷は次の回で重要なファクターとなる。

 

 

#9 「イントッカービレ acte II」~霧香とミレイユの“震え”

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 射撃訓練をする二人。霧香は右腕に傷を負ったため利き腕ではない左腕で銃を持っているが、成果は上がらない。

 

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 ミレイユを観察する霧香。

 

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 ミレイユはイントッカービレと対峙した時のことを思い出し、手を震わせている。

 

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 うなだれるミレイユと彼女を見つめる霧香。やはり二人は正対しない。

 

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 ここで霧香が背を向けたミレイユに対し初めて踏み込んだアクションを試みる。「シシリアに行くのは危ない、私にはあなたがなんだか……」

 

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 しかしミレイユは霧香に敢えて向き直りながら「あんたも早く支度したら?」と突き放す。

 

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 霧香の目線は背けられる。

 

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 場面は移ってミレイユとイントッカービレの因縁の場所へ。ここでミレイユがイントッカービレに強い恐怖を植え付けられた時のことを回想するが、それは霧香には語られない。ここでもミレイユは彼女を気に懸ける霧香を「先にホテルに帰ってて」と突き放す。

 

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 ミレイユの思い詰めたような背中を見つめる霧香。

 

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 翌日、イントッカービレとの再戦の場へ。これがこの2回で唯一のミレイユと霧香が正対したカットだが、二人は当然のように背を向け別々の方向へと走って行く。

 

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 右腕の代わりに左腕で銃を振るう霧香だが、その左腕までも傷を負ってしまう。激しく震え銃を取り落とした左手を、彼女は恐怖するかのような目で見つめる。自分が何者なのかについて何の記憶も持たない霧香が持っていた数少ないものの一つが殺しの技術だ。彼女は肉体が痛みによって震え、何も持たない自分に唯一残されたその力が失われてしまうことに恐怖しているのだろう。

 

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 地下水道に追い詰められた霧香は右手と銃を包帯で縛り上げて戦う。この地下水道というシチュエーションもアンジェイ・ワイダの二作目『地下水道』かな~という感じがしなくもないが、まあここはそんなに関係ないだろう。三方に水が流れ落ちる正方形の広場にはなんとなく他にモチーフがありそうな気もする。

 

 二人の男のうち一人を仕留めた霧香は、もう一人の男を螺旋階段の塔へと誘い込む。ここがワイダの『世代』からの引用と思しきシーンだ。

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 アンジェイ・ワイダ『世代』のこの場面は、レジスタンスの仲間を助けるために戦った一人の若者が兵隊に追い詰められ、螺旋階段のてっぺんから吹き抜けに飛び降りて死ぬ、という悲劇的な光景だ。

 

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 一方、『NOIR -ノワール-』では追い詰められて自殺を図る『世代』と同じ展開を思わせておいて、実は起死回生の一手だったという場面になっている。

 敢えてこの引用に意味を見出すとすると、『世代』では鬱屈とした時代の空気に駆り立てられ、体制への反抗がより良い未来を作ると信じレジスタンスに身を投じる若者たちが描かれていて、ここで飛び降りて自殺した若者はそうした時代の空気に押し潰されてしまった者の象徴なのだが、『NOIR -ノワール-』の霧香は失った過去に駆り立てられ、それを取り戻そうとしている者であり、よく見ると螺旋階段の巻き方が逆になっているところなど、霧香が『世代』の若者とは別の未来を手にできるかもしれない、そうした意味を暗示させ、対比する意図があったのかもしれない。

 さらに言えば螺旋階段の天井の光源から霧香は闇の底へと飛び降りてくるわけで、光に背を向け闇の中で生き、だからこそ灯りを求める、という『NOIR -ノワール-』に通底する雰囲気があって、霧香を吊るす一本の糸は #7 「運命の黒い糸」の最後でミレイユが語る「あんたとあたしを結ぶ糸、それはきっと、黒い色をしている。闇より深い、真っ黒な糸よ」にも通じている。この場面は霧香独りの戦いではあるが、確かに『NOIR -ノワール-』を象徴するシーンの一つだろう。

 

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 そしてミレイユは再びイントッカービレと対峙する。何の迷いも恐怖もなく刃を振るうイントッカービレに対し、やはりミレイユは恐怖に震え、銃を手にしながらも撃つことができない。

 

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 痛みによる震えを抑え付け、銃を放つ霧香。ミレイユの震えが“恐怖”という精神面から来るものであるのに対し、霧香の震えは単なる怪我という肉体面のものであり、彼女はそれを力で抑え付けた。怪我は自然に癒えるものだが、ミレイユの恐怖はその源を断たない限り消えることはない。過去を清算しようとしているミレイユと、過去を持たない霧香の在り様が見事に対比されている。

 

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  霧香の銃弾で弾け飛んだイントッカービレの刃とミレイユの銃。ミレイユはイントッカービレの刃を、イントッカービレはミレイユの銃を取るが、自分の刃ではない銃を手にしたイントッカービレが初めて迷いを見せ、その隙にミレイユは刃をイントッカービレに突き立てることで勝利する。

 ここで重要なのは、ミレイユは決して恐怖を克服したわけではない、ということだ。ミレイユが自分の銃ではなくイントッカービレの刃を取ったのは何故か。ミレイユは自分の銃、自分自身の手では決してイントッカービレを殺せないことをわかっていたのではないか。イントッカービレを貫いたのはイントッカービレの刃であって、決してミレイユの銃弾ではない。

 

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 手に入れた契約書を渡そうとするが、やはり拒絶するかのようなミレイユの背中に霧香は顔を背ける。

 

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 「下品な殺し……あんたみたい」

 霧香の殺しは「私、簡単に人を殺せる。なのに、どうして悲しくないの」という霧香の独白に象徴されるように、無感情であるがゆえのものであり、今回のミレイユの殺しはそれとは本質的にまるで正反対のものだ。この台詞に一体どういう意味があるかというのは難しいところだが、恐怖に震え、手を血に染める*1「下品」な殺しでしかイントッカービレに勝ち得なかった自分を嫌悪し、かつ結局自分も霧香と似たようなものだったという自虐的な歩み寄りであったり、自分を気遣いながらも距離を測りかねていた霧香をやはり少し突き放すという、非情に複雑な感情が籠もったとても印象的な台詞だと思う。

 

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 結局最後の場面まで二人が正対することはなかった。

 この2回はミレイユと霧香、二人の在り方と、その絶妙な距離感が見事に演出されているシリーズ屈指の名エピソードの一つだ。絵コンテ・演出は最近では『幕末Rock』や『レディ ジュエルペット』の監督を務める川崎逸朗

 この回に限らず、『NOIR -ノワール-』というシリーズ全体に通底する沈黙こそが雄弁に語る映像の魅力は、14年経った今でも色褪せない。初めて #1 「黒き手の処女たち」を観た時に「こんなアニメがあるのか」と大きな衝撃を受けたことを覚えている。この後に続いて『MADLAX』『エル・カザド』のいわゆる真下ガンアクション三部作が作られたが、やはりこの一作目『NOIR -ノワール-』が最も印象的な作品だ。

 ちなみに『NOIR -ノワール-』は35mmフィルムでの制作ということもあり、大変綺麗なソースがBlu-rayで提供されている。

 

 

2015/03/25追記

 当記事についてTwitter川崎逸朗さんご本人から反応をいただいたので質問をしたところ、以上のような回答をいただいた。『世代』の引用については誰のアイデアなのか気になっていたため、スタッフの方からこうして直接回答をいただけてありがたい限り。ありがとうございました。

 

 

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アンジェイ・ワイダ DVD-BOX 1 (世代/地下水道/灰とダイヤモンド)
 

 

*1:ただし自主規制の関係で本作では全く血の表現がない。