小樽樽川三線 小樽内橋について その2
こちらの記事の続き。
半年ほど開いてしまったが、一応の解決を見た。
参考史料は以下の通り。
小樽内橋の写真、小樽内集落の歴史などがまとまっていそうなものをあたった。
・『たるかわの歩み -旧小樽内川・分部越を含む-』 樽川発祥之地記念碑建立期成会
・『樽川百年史』 樽川村地主会
調査結果
史料をもとに小樽内橋に関わる略譜を以下にまとめる。
1858年(安政5年)
ヲタルナイ川に長さ30間×幅3間の木橋を架橋。
後に洪水で流失。文久年間に再び架橋するも、これもまた流失する。
1870年(明治3年)
米沢藩士・宮島幹の日記に「小樽内川橋あり、巾10間余り」との記述がある。
1879年(明治12年)
小樽内川に10間×2間の板橋を架橋。
1884年(明治17年)
小樽内川・琴似川間大排水(新川)の掘削工事が始まる。
この頃、星置川は現在のようにまっすぐ石狩湾へ注ぐ形ではなく、中流あたりから東へ折れて現在の新川河口部へ注ぐ形だったらしく、この新川河口付近の下流部が「小樽内川」と呼ばれていたようだ。(現在の清川がその名残)
この小樽内川と琴似川の間を繋ぎ石狩湾へと注ぐ大工事によって造成された人工河川が現在の新川である。
1887年(明治20年)
小樽内川・琴似川間大排水(新川)竣工。
1901年(明治34年)
小樽内川に架橋。
1926年(大正15年)
銭函街道新川の橋を架け替え。長さ12間半、幅1間半。
1930年(昭和5年)
小樽内川橋完成。
1962年(昭和37年)
8月16~18日、台風9号による大洪水が発生、小樽内川橋流失。
12月に復旧し渡橋式が行われる。この時点でも総木橋。
1963~66年頃(昭和40年前後)
この頃新川河口のショートカット、及び護岸工事が行われた。
61年の空中写真では新川河口は北へ蛇行しているが、66年の空中写真ではまっすぐ石狩湾へ注いでいる。
また、この際に橋の架け替えが行われたことが見てとれる。
1961年には新川に対し直角に架橋されているが、
1966年には東岸の架橋位置がやや南へ移動している。
1970年前後(昭和45年前後)
樽川三線の線形改良工事が行われる。
71年の空中写真を見ると、66年に比べて道路がまっすぐに引き直され、橋梁の全長も延びているのがわかる。
現在の東岸側鉄橋部分はこのとき架けられたものか。
1972年(昭和47年)
石狩新港建設に伴い樽川地区の住民との移転補償契約などが行われる。
この頃から小樽内集落の住民も転出していった。
この時点では[木橋-鉄橋-木橋]
1982~84年頃(昭和50年代後半)
この頃、新川の拡幅・護岸工事が行われた模様。
81年の空中写真に比べて84年の空中写真は西岸部が広げられ、橋も目新しいものが架けられている。
1982年と銘記された西岸側の橋はこの時に架橋されたものだろう。
しかし前述の通り小樽内集落はこの頃完全に離村し住居等は存在しなかったと思われるので、この架け替えの必要性は疑問である。
1995~2000年頃(平成10年前後)
この頃、小樽内橋は通行止めになったものと思われる。
1995年の空中写真では健在の東岸木橋部分も、2000年の空中写真では確認出来ない。
95年にはまだ通行できそうだが、
2000年には東岸木橋が消失し、西岸の径も藪に覆われている。
要点を抜き出すと……
・初めは木橋として架けられ、流失と架橋を繰り返していた。
・昭和5年に原型となる木橋「小樽内川橋」が架けられる。[木橋]
・昭和40~45年頃にかけて新川河口のショートカット工事、及び道路の線形改良が行われ、橋の中央部分には鉄橋が架けられる。この際「小樽内橋」に改称か。[木橋-鉄橋-木橋]
・昭和47年頃から石狩新港造成に伴い小樽内から住民の転出が進む。
・昭和50年代後半に新川の拡幅工事が行われ、架橋位置の西岸が大きく削られる。これに伴い橋は延伸、西岸に鉄橋が架けられる。[鉄橋-鉄橋-木橋]
・平成10年頃、小樽市により通行止めとされ、風化によって木橋部分が朽ち果て現在の姿になる。[鉄橋-鉄橋-木橋(消失)]
以上のようになる。
前回の適当な推測よりはかなり納得の行く結論を出せたのではないかと思う。
更に道の資料や毎年の地図もあたれば新川の拡幅工事等の正確な時期を特定できるかもしれないが、ひとまずはこの辺りで終わりにしたい。
雑感
一本の橋をきっかけに地元の郷土史料を漁ることになったが、この小樽内を含む樽川地区は最盛期でも人口800人程度の小村だったため、年譜にも「誰それの家が火事で全焼」やら「誰それが羆を仕留める」「配給が減る」「米軍機が襲来」「凶作」と言った開拓時代の日常、市井へと迫る戦争などが記されており、身近な歴史を感じられた。
やはりこうして今生きている自分と歴史とは決して無関係ではなく、人々の営みが重なり合って形作られるものだと実感できたとき、ここに歴史のおもしろさがあるのだと思う。
また、国土地理院のWeb地図には大いに助けられた。
これだけ多くの年月に渡って蓄積された膨大な量の空中写真を高解像度で、それもWebで、無料で閲覧できるサービスは画期的なものだ。
国土地理院においては是非今後もこのサービスを継続し、また日々新たに撮影されているであろう空中写真を蓄積していっていただきたい。