第六の絶滅

Die Wahrheit ist irgendwo da draußen.

緋弾のアリアAA #4 のメシは本当におかしいのか

というツイートがたくさんRTされているが果たして本当に例証になるのだろうか。

結論から言うと、ならない。

 

緋弾のアリアAA #4 「カルテット・前編」

 4人チームを組んで戦うカルテット戦というのをやることになったので、お嬢様の家で特訓をすることになりました、というのがこの回のあらすじ。

 

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 当該カットはこれ。背景のパース感と人物の平面感の合わさったレイアウトが珍妙なトンチキさを醸し出していて面白いのは置いといて、メシの庶民のパーティ感は本当に「貧乏なアニメーターが知らないごちそうを描けな」かったせいなのだろうか。

 これはみんなで仲間の家に集まって合宿をしているときに夜食を食べて一服、という場面。たとえばここで給仕のメイドさんやシェフが脇に控えていて、キャラクターがお金持ちの家のごはんだこんなの見たことないよすごいすごいみたいなリアクションをしていたとしたら、確かに見せたいものと描かれているものが合っていないと言えるだろうが、ここでは特にメシに言及することなく普通に食べながら雑談しているだけだ。で、あれば、このメシは特訓するから簡単に食べられるものを作ってというリクエストで軽くこしらえたものかもしれないし、なんならお屋敷の使用人ではなく彼女らがみんなで作ったものかもしれない。すごいお金持ちの豪邸に学校の友達が遊びに来て庶民的なメシを食べているというギャップ、温かさを意図した演出の可能性だってある。豪邸に住んでる金持ちの豪華なディナーとして描かれたものではないのだから「金持ちの家のディナーなのにメシがしょぼい」といった指摘は全くあたらない。この場面ではこのメシが描かれているのが正しい。

 というようなことは何も特別な読解を必要とすることなくこの回を普通に観ていれば当然に理解できるはずなのに、このツイートを鵜呑みにして「想像力の欠如」だの「貧困が生んだ問題」だの「アニメーターではなくコンテが悪い」だの「設定を用意していないのが悪い」だのぬかしてる反応がマジで多くて腹が立ったので、アニメーターやスタッフの名誉のためにもここに記しておく。静止画キャプだけ見てものを言っていないか?

 だいたい貧乏で豪華なメシを知らんから豪華なメシを描けないとかいう単純な認識はどうなのか。そんなこと言ったらアニメに描かれてるもののだいたいはアニメーターが経験したことのないものだと思うが。野球をやったことのないアニメーターに野球の作画はできないというのか。何のために設定制作という役職があり、絵描きが人体の構造を勉強しているのか。こういう背景や小物ひとつ取ってもアニメには設定というものが存在し、必ずしも「ここに豪華なメシ描いといて」でアニメーターにフリーハンドが与えられるわけでもないだろう。身体の動きがおかしいとかプロップの作画が適当だとか、そういう場面があるアニメは確かに存在する。しかしそれはアニメーターが知っている/知らないという単純な話ではない。

 床屋政談感覚でアニメーターの貧困問題を語るのも勝手にやってりゃいいが、ろくに観てもいないアニメを適当に貶めるのはやめろ。