恋する小惑星 #9 のホームレス排除ベンチ
平成終わっとるやんけ。
というわけで“アニメ全部観た2016~2019”*1や“『アイカツ!』と『ブラックホーク・ダウン』”*2、“木之本桜は何回「ほえ~」と言ったのか”*3などの記事が絶賛書きかけのまま平成が終了したため、今回は令和らしい最新の話題としてTIME誌が選ぶ『いま世界が注目する熱い星100』で2位の太陽に大差をつけて1位に選出されたことでも知られるアニメ『恋する小惑星』の話を手短にする。
恋する小惑星 #9 「本当の気持ち」
自分が本当にやりたいことを親に伝えたいあお、みんなに感謝の気持ちを伝えたい桜、みさに自分の気持ちを伝えたいすず、自分もみんなと同じように本気で部活を楽しんでいたことに気付いたモンロー、「本当の気持ち」というタイトルに沿って4個くらいの話が展開されるのに詰め込み感は全くなくてそれぞれの軸をシンプルに見せつつ整った一本の群像劇として完成している構成の見事さに関心しきりといった具合。その中でも特にモンローのエピソードが素晴らしい。
そもそもモンローにとっての天文部は「宇宙飛行士になる」という目標の通過点に過ぎず、学校の意向に従って天文部と地質研究会との合併をうまくこなして運営していけば内申点も稼げるだろう、という打算的な気持ちでやっているものだった。一方地質研究会の桜はなんで学校の都合で合併させられなあかんのやと食い下がる。なんで部活にそんなに熱くなれるんだろう。「私たち気が合わなそうね」 部活に熱くなり全力で楽しんでいるように見える桜や後輩たちを見ているうちに、一歩引いた立場で部の運営を優先している自分に、果たしてこれ楽しいんだろうか?と疑問を持つようになっていた。
しかし、後輩たちが作ってくれたアルバムに写っていた自分は、みんなと同じように満面の笑顔だった。ああ、ちゃんと部活を楽しんでいたんだな、楽しかったんだな、自分の本当の気持ちに気付く。
というところについて、お互いに目指すところや立場は違ったとしてもいつしか同じ場所で楽しい時を共有していたんだと桜と二人で確認しあうのがこの場面。
何だと思う? これね、ホームレス排除ベンチ。
立場も考え方も違う二人の人間が通じ合っていたことを確認する場面に境界線を設けてそこを越えさせるというのはよくある演出ではあるけど、その境界線をホームレス排除ベンチで引くセンスに脱帽だよ。
ホームレス排除ベンチに代表されるいわゆる排除アート的なものは敢えて言うまでもなく我々の社会にごく自然に存在していて、視界に入れたくない存在をなるべく視界に入れずに済むように社会は設計されてしまっている。その上で、社会からはみ出した人間を視界から排除するために設計されたベンチを立場や考え方が違う二人が同じ場所で時を重ねる中で互いを理解しあい手を取り合うという場面に持ってくることの強いメッセージ性。我々は立場や考え方が違う人間、はっきり言えば「社会」の落伍者を、不快だから見たくないという素朴な気持ちで同じ社会に存在することすら認めようとしていないのではないか。そういうことすら意識させない設計によってポジティブな排除を行う社会への疑念。労働が向いていない人間は飢えて死ねと社会に排除される側の労働忌避者として大変感じ入る演出だ。見てるか? これが社会派アニメというやつだよ。
まあなんでもそうなんだけど社会派的なテーマを直接的に扱ってるから社会派だとか偉いだとかいうことは全くなくて、どんな作品であってもそのようなものを見せることはできるし、事実そのようなものは様々な作品の細部に宿っていて、多くの問題を抱えてはいるがそのようなことが可能な土壌として日本のTVアニメは存在する。喜ぶべきことだろう。
それはそれとして、死ぬ死ぬ言われ続けている現行のTVアニメの体制が全く終わる気配もなく2020年を迎え未だに毎期恐ろしい数が作られ続けていてもうなんもわからん、HDDも電気代もタダやないぞという気持ちを抱えつつ、2020年代も生きていくんだなあ。
冒頭で挙げた記事は令和が終わるまでに書く。
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